リカバリーとは回復するという意味ですが、そもそも何から回復するのかと言えば、インフレから回復するのでもなければ、円安から回復するのでもなければ、経済の停滞から回復するのでもなく、疲労から回復するのです。では、疲労とは何でしょうか?
疲労という概念が分からなければそこから回復するということの意味も分かりません。私がこの疲労という概念とは何かと真剣に考えたのは、高校1年生の頃です。中学生の頃もなんとなく考えてはいました。しかしながら、その頃はまだそこまで真剣に中身を考えたことはありませんでした。私が真剣に疲労というものを考え出したのは、運動生理学に興味を持って勉強し始めた頃です。
ちょうどその頃私はオーバートレーニングで全く走れていませんでした。中学校の時は3000mを8分51秒で走り、最後の方はコンスタントに8分台で走れていたのに、高校に入ると9分15秒前後でしか走れなくなりました。疲れは抜けなくなりました。体がだるく全然走れません。
だいたい洛南高校に入学したのは陸上競技を頑張るためです。だから陸上競技で結果を出せなければ意味がありませんし、毎日の先輩方からの罵倒に耐えていたのも、陸上競技で結果を出すために洛南高校を選んだという一心からです。ところが、活躍されている先輩方や同期を見ながらじっとみじめな思いに耐えていました。
単純に考えれば物事には原因があり、その原因に対処すれば上手くいく訳です。私はその時の自分の状況を分析し、自分なりにアイスマッサージをしたり、セルフマッサージをしたり、栄養に気を配って見たり、なんとかして状況を打破しようとしました。ところが、一向に状況は改善されませんでした。
疲労とは何なのか?どうすれば疲労は取れるのか色々調べてみましたが、よく分かりませんでした。
そうこうしているうちに、夏合宿を迎え、故障もなくひと夏順調に練習を消化した私は、オーバートレーニングを克服し、そして秋からは初めての5000m14分台もマークし、全国高校駅伝でも9人抜きの区間12位(記念大会なので58人中)とまずまずの成績を残すことが出来ました。
ちょうど高校1年生の11月ごろに小松美冬さんが翻訳した『リディアードバイブル』を手にする機会がありました。その本には「多くの選手が無酸素トレーニングのやりすぎで疲れ切ってしまい、心身ともに不調を抱え、走力の向上もなく、苦しい思いに耐え走ることが嫌になってしまう。一方で、有酸素トレーニングをたくさん取り入れれば、走ることを楽しみながら、疲れ切ってしまうことなく走力を大きく向上させることが出来る。私はまだ12,13歳の少年少女たちが週に100マイル(160キロ)走りながら走力を向上させていくのを見てきた」と書いてありました。
その本の中には、生理学的な解説もしてあり、非常に納得のできるものでした。実は私自身、夏合宿ではひたすら走り込み、多い時は一日に50キロ以上走っていました。他の選手よりもプラスアルファで走り込みました。ジョギングではなく、1キロ4分前後のペースです。
そして、9月から総走行距離を減らしながらインターバルトレーニングを導入していき、疲労が抜け始める10月くらいから一気に調子が上向きになり、14分台をマークすることが出来ました。そして、12月には更に状態を上げることが出来ました。そういった経験からも『リディア―ドバイブル』は非常に納得のできるものでした。
しかしながら、一つ理解のできないことがありました。無酸素トレーニングがどうやら体に悪いと言いますか、神経系統含めて体に大きな負担をかけることは分かりました。そして、その大きな原因は無気的代謝が動員されることによって生じる様々な副産物が原因であることも分かりました。その中でも一番有名なのは乳酸ですが、それよりも有害なのは水素イオン(プロトン)です。
では、無気的代謝が動員されないようなトレーニングによって生じる疲労は一体何なのでしょうか?
当時私は1キロ4分ペースでの走り込みによってもかなり疲労がたまっていましたし、筋肉痛にもなりました。いや、むしろ『リディア―ドバイブル』をうのみにしてしまい、マラソンコンディショニングトレーニングペースなら大丈夫だと信じて、ひたすら走り込んだ結果、非常に多くのオーバートレーニング、オーバーユースを引き起こしました。回復にはほぼまる一年かかりました。
この時、私の体に生じていた疲労とは一体何だったのでしょうか?
このテーマは大学以降もずっと考え続けていました。疲労を最小限に抑えることが出来れば、なるべく疲労のたまらないように良い練習が継続できれば結果は出せるのです。では、疲労とは何でしょうか?
大学に入学する頃から、疲労と言うものは総合的に捉えるべきものであることは分かりました。つまり、一つあるいは二個三個の要素で表せるようなものではなく、非常に複合的な観点から捉えるべきものであるということです。睡眠時間、栄養状態、練習状態、勉強の忙しさ、精神状態、新生活に慣れるまでの期間などなど本当に複合的に考えられるべきものです。
また、距離走での疲労とスピードワークでの疲労と試合での疲労とそれぞれやや異なることも気づいてきました。例えば、二日続けて1000m10本を400mつなぎで3分ちょうどから2分50秒という練習をしていると不適応を引き起こしやすいのですが、同じ1000m10本の次の日を30キロを3分半で走る練習にすると不適応を引き起こしにくいのです。理由は疲労の種類が違うからです。
ちなみにですが、こういったことがよく理解できるようになってから私は交友関係を非常に制限するようになっていきました。何故ならば、飲み会や合コン、その他コンパなどに参加していると疲れてしまい、抱え込める練習の負荷の総量が減ってしまうからです。疲労とは総合的に捉えるべきものです。合コンで疲れても練習の疲れとは別ということにはなりませんし、私生活でのストレスを減らすことが練習からの回復を速めるのです。何故ならば、神経系統の疲労というものもあるからです。
そういったことがぼんやりと分かってきたころ、ケニアに行って更に新しい経験をしました。それはケニア人選手達からの会話の中で気づいたことです。
ケニアの選手は当時私の目から見るとヘタレが多いように映りました。ヘタレと言う言葉が分からない方は根性無しとか意気地なしのことだと思ってください。練習でついていけなくてもすぐにやめてしまったり、あるいは「今日は良い感じじゃなかった(I don’t feel good today)」の言葉で済ませてしまうのです。また練習をするかしないかの判断に関してもやらないという判断を下すときに多くの説明はありません。「今日は疲れている(I’m tired today)」の一言で終わりです。それ以上何もありません。
また彼らが頻繁にエナジー(energy)という言葉で様々なことを説明することに気づきました。ちなみにですが、エネルギーが英語だと思っている方も多いのですが、英語ではエナジーです。ドイツ語ではEnergieというスペリングでエナギーと発音するのですが、これを和製ドイツ語にするときにエネルギーと綴ったようです。
例えばですが、「マラソンの中間点を65分で通過すれば後半まだペースを上げることが出来る。何故なら、まだたくさんのエナジーがあるからだ」、「今日の練習は30キロ以降ついていけなかった。もうエナジー切れだった」、「今日は覚悟しとけよ。いっぱいエナジーがあるからな」、「今日はゆっくり走るよ。エナジーがないからな」などなど多岐にわたります。
見方によっては、学がないからそれ以上言葉を持ち合わせてはいないのだろうと思われるかもしれませんが、心拍数でトレーニングをモニタリングしたり、起床時脈拍を取ったりする方法はケニアでも知れ渡っています。中には実際に心拍数を目安にトレーニングする選手もいます。
しかし、私はあることに気づきました。それは意外とエナジーという一言で表してしまった方がすっきりするのではないかということです。確かに脚の張りが強くて負荷を落とさないと故障しそうという状態とどこも故障しそうな気配はないけれど、体全体が重くて練習の負荷を落とさないとオーバートレーニングに陥りそうという状態は違います。また、距離走の次の日の疲労感とスピードワークの次の日の疲労状態は違います。血中乳酸濃度の値も違うでしょう。
しかし、そういったすべてを考慮に入れて結局は、元気なのか元気じゃないのか、エナジーがあるのか、ないのかで判断してしまった方がすっきりしないでしょうか?
結局、練習をやるのかやらないのか、負荷を落とす必要があるのかないのか、そういった判断を下していかなければならないのですから、あまりこまごまとした余計なことを考えても仕方がないのではないかということです。マラソンのペース配分だってそうでしょう。このペースでいけば、中間点を通過した時にどのくらいのエナジーがあるのかという大雑把な判断が実は一番正確です。筋持久力的には耐えられるけれど、グリコーゲンは途中で枯渇しそうだとか、5000mのペース的には呼吸には余裕があるはずだけど、筋持久力的には耐えられないかもしれないとかそんなことを考えることには全く意味がありません。
またある選手がこんなことも言っていました。
「お前は心拍数を測ったり、血液検査をしないとどのくらい疲れているのか分からないのか?」
そう言いながら笑っていました。なるほど、これは真理をついています。結局、心拍数を測ったり、血液検査をしても自分の感覚以上のことは分かりません。もちろん、その体のだるさが貧血によるものなのか、あるいは自分では気づいていない感染症にかかっているのかということは血液検査で分かるので、そういった明確な目的があるならば話は別です。
しかしながら、血液検査をしないと自分がどのくらい疲れているのか分からないというのはおかしな話です。寧ろ、人間の体は心拍数や血液検査に現れない疲労感まで把握することが可能です。
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