今回は普段私がプロのマラソンランナーとしてどのように活動しているのか、我々のトレーニンググループについて書いてみたいと思います。
今我々のトレーニンググループにはフィリップ・バール、ヴァレンティン・プファイル、ファビアン・クラークソン、ヨハネス・モッチョマン、リザ・ハーナー、そして私の6選手がいます。コーチはディーター・ホーゲンでコーチホーゲンが他に指導する選手にオリバー・ホフマンさんがいます。
このうち、ヴァレンティンさんがオーストリア人で私が日本人、後は全員ドイツ人で使用言語はドイツ語です。私以外はドイツ語のネイティブスピーカーで、ファビアンさんは父親がイングランド人で同時に英語のネイティブスピーカー、ヨハネスとフィリップさん、ファビアンさんはアメリカの大学での留学経験があります。フィリップさんの奥さんのレギーナはアメリカ人でレギーナがいる時はグループ内でも英語で話されることもあります。
写真 左から私ヴァレンティン、ファビアン、フィリップ
リザ・ハーナーさんには双子の姉のアンナ・ハーナーというマラソンランナーがいるので、たまに顔をみることもあります。後はコーチの元教え子のウタ・ピッピヒさんという方がウエイトトレーニングのメニューを考えたり、ヨガを教えてくださったりすることもあります。
写真:リザ・ハーナーさんと著書の『Time to Run』にサインを頂きました。私がドイツ語を勉強する時の教科書にもさせてもらった本です。
フィリップさん、ファビアンさん、リザさんはベルリンマラソンを運営するSCCイベントという会社のSCC pro teamのメンバーでヨハネスも来年1月1日から正式にSCCプロチームの一員になります。私はキンビアマネジメントの一員でスポンサーはアミノサウルスです。キンビアマネジメントというのは1990年にトム・ラドクリフ、コーチホーゲンらで立ち上げた長距離ランナーのマネジメント団体で主にケニア人選手を指導していました。私がコーチホーゲンに初めてお会いしたのもケニアのイテンという町です。そこから紆余曲折があり、キンビアマネジメントもいくつかに枝分かれし、コーチホーゲンは2017年を最後にケニア人の指導も辞めました。
ヴァレンティンさんのスポンサーはナイキですが、それ以外コーチホーゲンとの契約など詳しいことは何も知りません。
写真:トレーニング風景
今は日本語で記事を書いているので、年上の選手にはさん付けをしていますが、ドイツ語や英語を話す時は欧米の慣例に従って、選手間は下の名前で呼び捨てにしています。私の場合は苗字でイケガミと呼ばれるかあだ名のユキと呼ばれることが多いです。私は独英を離す時でも自分のことはIkegamiと名乗る為、コーチはずっと私のことはイケガミと呼んでいました。そして、英文や独文を書く時でもIkegami Hideyukiと表記していたため、イケガミが下の名前だと思い込んでいました。飛行機のチケットをとる時にコーチが下の名前と上の名前を逆にして、チケットをとってしまいパスポートと一致しないということがあったので、それ以降ヒデユキ→ユキと呼ばれるようになりました。
また私はコーチのことはコーチホーゲン若しくはコーチと呼びますが、他の選手はコーチのこともディーターと下の名前で呼び捨てにすることが多いです。コーチホーゲンは厳格で真っすぐな性格で、大変なことも多いですが、妥協しない人なのでなんとかついていけば、そのうち結果も付いてくると思わせてくれる人です。銀メダル四個よりも金メダル一個の方が良いという考え方でやっているので、ほどほどの練習をしてスタートラインに立つということは先ずありません。マラソンに関しては特にそうです。基本的に年に二回しかチャンスが無いうえに、練習が出来ていないとレースにも出してもらえない、練習は詰まっていて休みもありません。選手にとってはきついのですが、それでもボストン、ベルリン、シカゴ、ロンドンなどで優勝、トップ3に入る選手を何人も育ててきた圧倒的な実績があるので、皆なんだかんだでちゃんとついていきます。
練習に関しては詳細はブログでは書けませんが、1990年にサミー・リレイ選手が当時の世界記録まで10秒と迫るタイムを出して以降大枠は変えていないとのことです。練習の一つの特徴としては、設定タイムが無いということと、全ての練習でネガティブスプリットを作るということだと思います。心拍数も使いません。自分の感覚に従って、トレーニングすることが一番だという考え方でやっています。選手の方もその分経験が必要になるのですが、試行錯誤しながら自分なりの感覚を掴んでいった方が後々役に立つことも多いと私は考えています。
写真:現在は練習中のシャツの着用は義務
因みにですが、自分自身が子供のランニング教室をやったり、高校時代に他の選手を観察したりした経験から言うと、やっぱり指導者と選手の間に感覚のずれがあると上手くいかないことが多いです。傾向で言えば、実は根性論でやっている年配の指導者ほど「選手は手抜きをする」という前提でやっています。性悪論でやっているともいえるでしょう。「選手は手抜きをする」という感覚でやっているので、多めの練習を課したり、厳しい態度で接するのですが、この時選手が本当に強い意志を持って真面目にやってしまうと潰れてしまいます。この場合でも、現役時代自分自身が手抜きをしてきた指導者には、本当にまじめに練習する選手の気持ちが分からないので、厳しくしてしまうのです。子供のランニング教室をやっていても、手抜きをする子供はたくさん走ることが出来ます。子供たち自身は真剣にやっているつもりなのですが、ちゃんと無意識のうちに手抜きしているので、なかなか疲れません。これが集中して真剣にやる子だと、早めに切り上げないと疲れ切ってしまって、後半は実りのないランニング教室になってしまいます。ケガにもつながりかねません。ただ、子供は皆真剣にやってくれています。サボろうと思ってやっている子は一人もいません。ただそれでも、同じように「真剣にやっている」という感覚の中でその度合いが違うということです。
人間は基本的に他人の感覚や気持ちはなかなか分からないので、そういう意味でも自分の感覚に従ってやるというやり方の方が良いのかなと思います。
写真:合宿中の数か月は共同生活。数か月間男だけでいると喧嘩にもなるが、リザさん、ヴァレンティンさんとフィリップさんの奥さんがいたので、殺伐とすることもなく、合宿を乗り切る。フィリップさん、ファビアンさん、私の三人が道徳上の理由からベジタリアン。
写真:料理好きな美人シェフ・リザさん 前回のニュージーランド合宿では主に私とリザさんが調理
コーチホーゲンは長くケニア人を指導してきましたが、ケニア人選手とヨーロッパ選手の違いについて、ケニア人選手の方が多くを考えずにその日その日の感覚に従って走る、感覚に従って走るので走りもリラックスしてよりスムーズで、精神的に落ち込むことも少ない、欠点は走り出したら、こちらの指示も忘れて夢中になりオーバーペースに陥りやすいこと、一方、ヨーロッパの選手は先のことまで考え、プランに固執し、プランによってプレッシャーを受けやすい、こういう違いがあるとのことです。
因みに落ち込みにくいことに関して言うと、国民性にはっきりと出ていて、2016年のWHO調査の10万人当たりの自殺者数を見ると、ドイツ13人、日本18人に対して、ケニアは3人です。私の個人的な感覚でも、傾向的にはケニア人選手は精神的にタフです。ただし、より多くの苦痛に耐えられるという意味ではありません。そういう観点から言えば、日本人の方が我慢強く、苦痛や不快に耐えられる民族だと思います。ただ、ケニア人の場合はそもそもくよくよと思い悩むことがありません。あれこれと考えないのです。日本の昔の野武士や豪傑の大らかさと、ラテンアメリカの人の陽気さが混じった感じです。
アジア人は私が指導する初めての選手ですが、私はいつも練習をハードにやり過ぎて故障したり、調整に失敗したりするというへまをやらかすため、「ワーカホリック(仕事中毒)は日本人のやり方だ」、「腹切りと神風は自分を傷つけるだけで、賢いやり方ではない」などと言われます。ただ、私の場合は中学、高校と「お前は休むこと覚えたら強くなれる」と言われ続けてきたので、日本人の中でももともとそういう傾向があるので、それを冗談交じりに諭されているだけです。コーチホーゲンのやり方としては「休むときは休むというよりは休みらしい休みは作らないから、適度に手を抜いてくれ」という感じです。
この点に関しては、やはりケニアの選手は休むのが上手いです。すぐ遅刻する、嘘をつく、仕事をさぼるケニア人の国民性に慣れるのはなかなか大変で、ケニアではヨーロッパの経営者たちの愚痴を何度となく聞かされてきましたが、ケニア人選手もコーチホーゲンを畏れながらも脚が痛かったり、疲れていたりすると決して無理はしません。今でも覚えているのは2017年のハノーファーマラソンで優勝したアランさんとハノーファーマラソンの二週間前に一緒に30㎞走をしたときに、比較的遅いペースで走ったアランさんが「ディーターはハッピーじゃないだろうが、これで良いいんだ」と私に話してくださったことです。
写真:ケニアでのトレーニングキャンプ、ラーニー・ルットさん(私の右隣)の誕生日を祝して
一方で、真面目なヴァレンティンさんはとてもハードな30㎞走の次の日に軽めの練習をして、コーチから「30㎞走の後、24時間あったのにどうして疲れているんだ!?今日の練習は少なすぎる!」とメールで言われて、更に電話で言われた次の日、ヴァレンティンさんは私に「そんなこと言われたら、疲れていることを申し訳なく思わないといけないじゃないか。でもハードな30㎞走の次の日に疲れているのは正当なことだ」と愚痴をこぼしていました。
結局、ベルリンマラソンではオリンピック出場権を確実に取れると傍で見ていた私は思っていたのですが、オリンピック出場権を逃してしまいました。「何故そんなに遅いんだ!?」「何故そんなに少ないんだ!?」こういったコーチからの問いの積み重ねをプレッシャーに感じ、疲れが十分に抜けないままレースを迎えてしまったようです。私もヴァレンティンさんと同じタイプなので、私が今までして来たのと全く同じ失敗です。
このことを考える時、いつも思い浮かぶのがアウシュヴィッツに収容されて生き延びたプリモ・レーヴィの収容所でのある囚人の話です。
クラウスが手先を誤って、泥をひと固まり、私の膝にぶつける。初めてではないから、注意しろとしかりつけるがさほど効き目があるとは思えない。彼はハンガリー人でドイツ語はよく知らないし、フランス語も一言も分からない。背はひょろひょろと高く、眼鏡をかけていて、ゆがんだ、小さな、奇妙な顔をしている。笑う時は子供のようになる。しかもよく笑うのだ。だが彼は働きすぎる。力をあまりにも使いすぎる。呼吸から、動作から、思考まで、全てを節約する、私達の地獄の底の技術を、彼はまだ学んでいない。殴られるほうがいいことをまだ知らない。普通、殴られても死なないが、労苦は死を招く、それもひどい死を招くからだ。だがこれに気付く時はもう手遅れなのだ。彼はまだものを考えている・・・ああ、違う、クラウス、君のは筋の通った考えではない、雇われ人の馬鹿正直さでしかない。それをここまで持ち込んできたのだ。外と同じだと思っている。働くことが公正で、筋の通った好都合な行為である、外の世界と。 (『これが人間か』プリモ・レ―ヴィ著、竹山博英訳)
指導者と選手は皆それぞれ異なった背景を持っています。それぞれ性格が違います。選手と指導者がそれぞれの背景を理解して互いに歩み寄っていくことも競技の一つなのかなと思います。要するに、強制収容所の外の世界で「働け」と言われるのと、「強制収容所の中で「働け」と言われるのでは言葉は同じでも、その言葉の背景が違うので意味が異なります。指導者と選手は言葉の背景を共有できるようになった時、良い結果が出るのではないかと思います。