こんにちは、Kimbia Athletics所属のランナーで、ウェルビーイング株式会社代表取締役の池上です。
一昨日の夜、私のコーチディーター・ホーゲンと電話で話をしました。コーチホーゲンは今はベルリンにいます。今は国際電話という言葉もほとんど死後となり、Whatsappを使えば国内通話も国際電話も変わりません。堅物ドイツ人と堅物日本人の電話でいつもは挨拶もろくにせずに本題に入るのですが、しばらく電話していなかったこともあって、単刀直入に練習の話には入らずに、私の仕事の話やコロナウイルスの話をしていました。「お前のビジネスに将来性はあるのか、それともまだよく分からないのか」と聞かれたので、「Wir können glücklich sein zu wissen dass diese Zukunft restlos uns gehört! (未来は全て我らの手にあることを知っているので幸せだ)」と返しておきました。この一節はヒトラー演説の一節ですが、コーチは気づいたかどうか。
そんな冗談や東京オリンピックは本当にやるのか、たわいもない話をしながらもいつしか話題は本題の私のトレーニングへ。コーチからは「君は素質もあるし、気持ちも強い、でも余裕を持ちながら練習することができていない。これは唯一の問題だ。再三言ってはいるが、まだ理解できていない。全くもってホルツコップフ(Holzkopf)だ。防府読売マラソンに向けての練習はマラソンで2時間6分の選手がやる練習だ。君はまだそのレベルには達していない」と言われました。ホルツコップフとは直訳すると木製頭で、日本語で言うなら頭が硬いと言ったところでしょう。独和辞典には「ばか、マヌケ」などと言う訳も出てきますが、必ずしもそこまで侮辱的な意味とは限りません。もちろん、意味するところは「ばか」ということなのですが、やはり頭が固いと言う表現の方がしっくりきます。
これだけ書くとなんだかコーチホーゲンは物分りが良くて、人の良いおじさんに思えるかもしれませんが、実際はそんなことはないです。とにかく練習やらせるし、厳しいし、タイムが遅いとああだこうだと言われるし、こっちはこっちでそんなああだこうだ言われるくらいならきつくても練習やった方がマシという感じです。
まあそれだけやるべきことをやらないと一流にはなれないし、とはいえ賢明な選択をしなければやっぱり結果は出せないし、そのあたりのさじ加減なんだとは思います。ただ、私は私で先日リニューアルした「ウェルビーイングオンラインスクール」の講義を改めて作成しながら、自分でいくつか気づいたことがありました。
それは5-15kmのためのトレーニングとハーフマラソン、マラソンのためのトレーニングの違いについて解説していた時のことです。これらのレースの主な違いとしては5000m、10000mというのは狙ったレースの前に同じ距離のテストレースをいくつか入れていくのが一般的です。例えば、6月2週目の近畿インターハイにピークを合わせるのなら、4月からちょっとずつレースに出て状態を上げていくのが一般的です。
この時に4月からトラックレースに出るからと言ってこの4月頭に状態を合わせ過ぎると上手くいきません。ある程度仕上げながらもテストレースとして使って徐々に状態を上げていくのが望ましいです。
一方で、ハーフマラソンはどうか?ハーフマラソンになるとテストレースでハーフマラソンのレースに出るということは基本的にはありません。もちろん、疲労を抜きながら、六週間以内に2、3本の勝負レースを持ってくることは可能です。ただ、これは一旦状態を上げてから、その間で上手く疲労を抜きながら2、3本走るというイメージで、このハーフマラソンのレース自体は練習になりません。継続してできないので、これで強くなるということはないのです。ということはマラソンに関しては言うまでもないでしょう。そもそも、マラソンは短期間でピークレースを2本続けること自体が難しいです。もし、できたとしたらそれはその人が持っている本当のピークではない可能性も高いです。
では、話を5000m、10000mに戻してこれらの距離は5000mや10000mのレースにたくさん出ればどんどん力がついていくのでしょうか?これも答えはノーです。運動生理学の本なんかを読んでいると特異性の原理というのがあって、人の体はある運動に対して特異的に適応していく、だから5000mのレースに出るなら5000mのタイムトライアルが良い練習なんだというようなことが書いてありますが、これは一つ見落としていることがあります。
それは5000m15分ちょうどで走れば、5000m15分ちょうどに対して適応してしまうということです。例えば、私の5000mの自己ベストは14分20秒です。日体大記録会なんかに出ればもう少し速いタイムが出るかもしれません。仮に14分10秒で走れたとしましょう。上手く疲労を抜きながら状態を維持すればこの状態が6週間くらいは続くかもしれません。そのうちにレース展開や天候、自分の状態が噛み合えば14分ちょうどくらいのタイムは出るかもしれません。でもその後は?
確実に落ちていくでしょう。最高のパフォーマンスを発揮できる状態というのはそう長くは続きませんし、逆に年がら年中同じようなパフォーマンスを発揮できるのであれば、それはその人の最高のパフォーマンスではありません。オリンピックの中距離で二冠に輝いたピーター・スネルさえもローカルレースでは結構負けています。そもそも自己ベストというのは、本当に良い状態で色々な条件も噛み合って出した記録です。レベルが上がれば上がるほど、その自己ベストのタイムでもう一度走ること自体が難しいので、やはり練習として捉えるなら継続性に欠けます。
これは「マラソン界の洗脳」という過去のブログ記事でも書いていることなのですが、我々は原因と結果の関係性をひっくり返して考えてしまうことが往々にしてあります。40キロ走を2時間5分台でやったから、マラソンで2時間9分台で走ったと言われても、そりゃ練習で2時間5分で走れたら、競り合う相手がいて調整したら、2時間8、9分は出ます。でも、それってその練習で強くなったのでしょうか?それともその練習ができる時点で強くなってるのではないでしょうか?ということはそもそも40km走を2時間5分の練習ができるようになるまでの過程に答えがあるのではないでしょうか?
これは5000mや10000mの練習でも同じことが言えます。最近はインスタなんかでも10000m33分台を出すための練習とか書いてあって、そこには「2000m5本を400mつなぎで6分50秒から6分40秒」とか書いてあります。そりゃ、そんだけ出来たら、調整してレース出たら10000m33分台出ますよ。問題はどうやってそれだけの練習できるところまで持っていくかです。
そうやって考えたら、ただ単にやるというだけではなくて、疲労が回復して、トレーニング刺激に体が適応しながら、さらに継続して練習できるということを考えた時に、どの程度まで練習できるんだろう?あれっ意外とそこまで練習ってできないもんなのかな?そうやって考えたら、やっぱり練習ってこんな練習しました!って人に自慢できるような練習を一回するよりも余裕を持ちながら継続して密度を上げていく方が重要なのかなって思います。そうやって考えると、コーチホーゲンの出すトレーニングプログラムもやたらと練習詰まっていて、かなりきつく思えるけど、それは常に余裕を持ってやりなさいということなのかな(とは言え、遅いとああだこうだと言われるけど)と思いました。
最終的にはさじ加減の問題なので、こうやって文章にするのも難しいのですが、一つ理解できたことはあります。コーチホーゲンはボストン、ニューヨーク、シカゴ、ベルリン、ロンドン、フランクフルト、ロスアンジェルスといったメジャーレースでのチャンピオンやトップ3、トップ6を何人も輩出している名伯楽です。そんな名伯楽がこういっていました。「マラソンのためのインターバルの合計疾走距離は12kmで良い。15kmを練習で完璧にコントロールして走れたら、そのペースでマラソンが走れる」と
私自身もマラソンの基本は5000m、10000m、ハーフマラソンがマラソンレース当日にどれだけ速く走れる状態にあるのか、そしてマラソンが走れるだけの基礎的な有酸素ランニングがどれだけみっちり出来ているかだと考えています。でも、その時にハーフマラソンをテストレースで使うのが難しいのだとすれば・・・5000m、10000mのレースも練習で頻繁に使うのはナンセンスなのだとすれば・・・どうやら答えがみえてきたようです。
そんな訳で、ウェルビーイングのリニューアルに当たって内容が一気に3倍ほどになったのですが、私の方にも大きなメリットがありました。
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