top of page

あなたの長距離走、マラソンの夢叶えます。

執筆者の写真: 秀志 池上秀志 池上

更新日:2024年12月13日

 突然ですが、あなたは長距離走、マラソンが速くなるかならないかという問題に関して、精神的な部分、つまり心の部分が大きく影響するということを信じるでしょうか?


 最終的には信じるか信じないかの話になってくるのは間違いないのですが、客観的な事実として言えば、陸上競技の指導者たちは総じて長距離ランナーの育成には心の育成がないと無理だと言います。私自身も長距離走、マラソンが速くなろうと思えば心へのアプローチは必須だと固く信じています。


 というかそもそも論ですが、どんな分野でも私は心理面へのアプローチは非常に大切だと思っています。仕事においても、恋愛においても、勉強においても、事を成就させるには人間の精神力や気力、あるいはものの考え方というものが非常に大きな力を及ぼすと強く信じています。


 世の中には色々な仕事がありますが、官公庁や行政の仕事を除けばその全ては商売であるという特徴があります。


 確かに、使用者(経営者)と労働者(会社員、サラリーマン)と資本家では役割が異なりますので、自分は労働者だから商売のことは分からないとおっしゃる方もいらっしゃるかとは思いますが、それでもその方が勤めている会社が民間の企業である限りは何らかの商売であるはずです。


 そして、最近は色々な経営者の方やこれから起業しようとされる方のお話をお伺いする機会も増えましたが、やっぱり心の持ちようが大きく左右することは間違いないと思います。


 実際問題、先日神戸マラソンで二時間半を切った弊社副社長の深澤哲也の育成においても心理面からのアプローチは用いました。マラソンでも二時間半切りというアマチュアでは最高峰とも言える大台の数字をマークしてくれましたが、実は同じ月に月商の最高記録をマークしています。


 正確にはその月の深澤の月商は380万円を記録しており、うちの会社はこのうちの約半分が個人の取り分になるので、単純に月収が約190万円という計算になります。30歳という年齢を考えるとこれがいかほどの記録かお分かり頂けるかと思います。


 そして、繰り返しになりますが、社会人としての育成においても心理的なアプローチは用いました。それが必ず成果を大きく引き上げるからです。


 では、そんな中で具体的にはどのような洗脳、刷り込みを行ってきたのでしょうか?


 色々ありますが、先ず第一に一番大切なことは必ず上手くいくという信念を植え付けさせることです。これがなければ、何をやっても上手くはいきません。正確に言えば、そもそもやる気すら起こらないのです。日本人は「打算的」であることを嫌い、「打算」のない行為の中に美しさを見出します。


 しかしながら、本当に打算が存在しない行為など存在するでしょうか?


 究極の滅私奉公とは誰かの為に命を捧げることであり、あの大東亜戦争の一次資料を紐解けば、決して国家の命によって無理矢理死なされた可哀そうな若者たちだけではなく、自ら進んで祖国の御楯となることを決意し、見事な最期を遂げた人々がたくさんいます。


 ですが、そういった行為ですら私は打算だと思います。それは祖国の英霊をなんら汚すものではありません。寧ろ、祖国の御楯となって勇敢な最期を遂げることは日本男児の本懐であり、羨ましいとすら思います。


 人間大半は平均的な能力を持って、平均的な人間として、名もなき人として死んでいきます。平凡な人生の幸せというのもわからなくはないですが、平凡に長く生きて、平凡に死んでいくよりは、英雄として生き、英雄として死ぬことを選ぶ人だって当然いるでしょう。


 そして、歴史的に言えば、このことはあの時代の日本人特有の狂気という訳でもなく、古今東西どこの文化に生まれても大抵は男は戦争で手柄を立てることが名誉とされてきました。


 敢えて書けば、あそこまで戦死が名誉とされたのはいささか常軌を逸しているかもしれませんが、古今東西男は名誉のためには命をも捧げる生き物であり、滅私奉公と思われる行為でさえも打算だから出来るという事実は確かにあるでしょう。


 ついでに書けば、男は名誉の為なら命も捧げてきたという事実を知れば、女性の方は男性を簡単に操ることが出来ます。豚もおだてりゃ木に登るというやつであり、特に美人がやればいちころです。


 人間というのはどれだけ滅私奉公に見える行為にだって裏側にはきちんと打算があり、この打算がきちんと出来ていなければ、寧ろ行動に力強さが生れないのです。早い話が人間は自分が損をする場合には行動をせず、得をする場合には進んで行動をするものなのです。


 繰り返しになりますが、一見損をするように見える行為も本人の中ではきちんと得をしているということです。子供の為に惜しみなくお金をつぎ込むのは「お父さん、ありがとう」と言ってもらいたいからであり、女性とのデート代を出したり、何かプレゼントをするのはやはり「ありがとう」とか「カッコいい」とか言ってもらいたいがためであり、ちゃんと無意識のうちに頭の中でそろばんをはじいているものなのです。


 ただ、ここで問題となるのはそれを行為する前は結果がどうなるか分からないことにあります。


 例えば、私のように船坂弘著『ペリリュー島玉砕戦』や樋口紅葉著『ノモンハン実戦記』の中に立派に勇敢に闘い抜いた先人たちの記録を読み、自分もこんな立派な生き方をしたいと思う人もいれば(この場合、先人たちも少しは草葉の陰で自らの行為の意義をかみしめることが出来るでしょう)、一部の学校教員のように「侵略行為に加担した残虐者」や「独裁的軍部による被害者」という見方しかしない人もいる訳であり、自分の行為の結果がどうなるかは決して分かりません。あるいは対米戦争に破れて民間人を守れなかった時点で「無駄死に」という評価も出来るでしょう。


 別の例を出せば家族の為に身を粉にして働いても子供はぐれるかもしれないし、娘からは「お父さん気持ち悪い」と言われるかもしれないし、喜んでもらおうと思ってデート代を出しても「あなたとはもう二度と会いたくない」と言われるかもしれないし、結果はどうなるかは分からない訳です。


 この状態で前に進むか進まないかを決めるのは信じるか信じないか、実はそれだけなんです。宗教と言われれば、かなり宗教的だと言っても良いと思います。ただ、宗教とやや異なるのは現代の大人は論理的な思考が発達しているので、論理的な思考が可能であり、論理的に判断する点です。


 今でも宗教は残っていますが、少なくとも日本ではその影響力は圧倒的に縮小し、今の時代は宗教に忠実に生きている人は坊さんですら少なく、ましてや私のような無宗教者も増えています。私はそれは必然だと思います。何故なら、中世の日本人と比べると教育が普及し、教育だけではなく手軽に大量の書籍やインターネットを通じた情報にアクセスすることが可能になり、論理的な思考が出来るようになったからです。


 だからこそ、方法論や理論や戦略について学ぶことは大切です。


 ですが、どれだけ具体的な方法論や理論や戦略を学んでも最終的には自分が上手くいくかどうかは分からないし、もっと言えば、そもそもこれは方法論や理論や戦略を学ぶよりも前の話なんです。


 何故ならば、方法論や理論や戦略を学ぶのにもコスト(時間、労力、お金)がかかってくるからです。上手くいくと思えば勉強するし、勉強してもどうせ無駄だと思う人は勉強しません。


 ですから、理論や方法論や戦略を教える前に、あるいは同時並行で行わなければならないのが信念を吹き込むことなんです。考えてみて下さい。1㎞6分ペースで5㎞走っただけで筋肉痛になる状況から、マラソン2時間半を切るということを。1㎞3分半のペースで走ることも出来なければ、ゆっくりであったとしても20㎞走れない状態からフルマラソンを1㎞3分半ペースで押し切ることを。


 前職では手取り20万円を下回る給料で、営業経験は0,つまり、自分の人生で何か物を売った経験がほぼ0,オンラインマーケティングの経験も0,しかも次の会社で売らなければならないのは、よく分からない会社のよく分からない奴が作った商品、大手企業のような信頼度も認知度も商品の認知度も信頼度も何もありません。


 あなたはこの状態で前に進めるでしょうか?


 努力する気になるでしょうか?


 決断を下せるでしょうか?


 この状態でも決断し、たゆまずに前に進み続けるのが強い信念であり、これが全ての出発点なのです。


 そして、長距離走、マラソンにおいては人生におけるありとあらゆることの中でも特に強い信念が求められる領域になってきます。短距離や跳躍や投擲よりも精神的な要素が強いスポーツです。その理由は以下の通りです。


 先ず第一に、長距離走、マラソンは肉体的にも精神的にも苦しいスポーツだからです。これは長距離走、マラソンの一つの大きな特徴です。どんなスポーツでも極めようと思えば、多かれ少なかれ苦しい練習に耐える必要があると思います。ただ、その一方でそもそもスポーツそのものが苦しいという種目はあまり多くはありません。


 例えば野球。甲子園を目指したり、プロ野球選手になるための練習は非常に苦しいようですが、だけど野球というスポーツ自体は別にそこまで苦しいスポーツではありません。要するに、皆で集まって草野球をする分にはそこまでの苦しさというものは求められません。


 ゴルフもテニスもそこまでの苦しさというのは求められません。同じ陸上競技でも短距離走や跳躍種目、投擲種目は高度な技術や筋力、集中力は求められますが、肉体的にはそこまで苦しい種目ではありません。


 長距離走、マラソンの場合は、遅かろうが速かろうが、全員ほぼ等しく苦しいという稀有なスポーツと言えるでしょう。敢えて言えば、短距離走や跳躍種目よりもボクシングに似ていると思います。ボクシングも基本的には勝つ場合でも相手にも殴られるし、勝っても負けても痛く苦しいゲームだと言えるでしょう。


 そして、そもそも試合が苦しいことを前提に成り立つスポーツなので、当然練習も苦しいです。幸いなことに、人間の体力は有限なのであまりキツイ練習ばかりしていると走力が向上せず、正しいトレーニングとは必ずある程度の余裕を持たせた練習です。そういう意味では、苦しいことが前提のスポーツの割にはそれほど苦しくはないと思います。


 ただ、その上で非常に継続を要するスポーツであり、心身への負担は趣味で行う他のスポーツよりは上であると言って良いでしょう。野球やサッカー、ゴルフなどの技術系のスポーツは、一度身に着けた技術は割と一生ものです。元プロ野球選手は引退して、2,3年プレーしなくても、やっぱり元プロだと周りを唸らせるだけのものがあります。


 一方で、中長距離走、マラソンは元日本代表でも1年間走らないだけで全く普通の人になります。冗談抜きで、本当に普通の人です。年齢がまだ若いのでご老人の方々よりは動けますが、同年代の人たちと比べて特に優れた持久力がある訳ではありません。


 アリスの歌に「チャンピオン」という歌があり、その中に「帰れるんだ。これでただの男に。帰れるんだ、これで帰れるんだ」という歌詞がありますが、あの瀬古利彦さん(マラソン出走15回で10回のチャンピオンに輝く)も現役を引退して一年経ったらただの男になったと著書の中に記されています。そして、ご本人はそれが嬉しかったとも。


 長距離走、マラソンは草野球や草サッカーのように元プロが久しぶりに参加して、無双できるようなものではなく、走力の向上や維持には継続が非常に大きなカギを握ります。他の趣味は週末にやるだけで充分かもしれませんが、長距離走、マラソンの場合は一回一回の練習の負荷は小さくても良いから継続的に練習しないとなかなか力がつきません。


 継続することの大変さは皆さんご存知だと思います。


 気が向いた時に頑張ることと継続することの間には雲泥の差があります。何故なら、継続するということは条件が悪くてもやり抜く意志の強さが求められるからです。継続するとは暑くても寒くても天気が良くても悪くても、記録が伸びても伸びてなくても、気持ちがのってものらなくてもやり続けることだからです。


 次に長距離走、マラソンは精神的な要素が大きい理由ですが、長距離走、マラソンというのは速くなるということが非常に分かりにくい種目です。技術系の種目は動きを見れば優れた人と劣る人の差がすぐに分かります。


 例えば、自分にはこの動作が出来ないけれど、プロ野球選手はこういう動作が出来ているなというのが分かれば、その動作が出来るか出来ないかが自分とプロ野球選手との違いなんだなというのが分かります。

 

 一方で、長距離走、マラソンは技術系の種目ではありません。速い人も遅い人もただ走っているだけです。なので、どうやったら速くなるのかがイマイチ分かりにくいし、その結果として多くの方が走っているのに速くならないのは素質のせいだと思いがちなのです。


 でも、素質があるとかないとかもはっきり言って思い込みの問題です。だって、やれること全部やってみないと素質があるかないかなんてわかりませんから。どんなに優れた指導者でも最後までやってみないと誰が強くなるか強くならないかは分かりません。


 確かに、指導経験が長いとピンっと来ることはあります。パッと見て「この子は強くなる」と思う子はいます。大抵、そういう子は強くなります。でも、どこまで強くなるかはやっぱりやってみないと分からないし、あとピンっと来ない子の中にあとから強くなる子がいくらでもいます。やり方次第で伸びる子はいくらでもいるし、どこまで速くなるかは別にして、速くならない子は一人もいません。


 今私が見ている高校生たちも短期間でぐんぐん伸びています。「遅い子だから伸びしろがある」それは正直事実です。でも、私が見ているのは中学生ではありません。だいたい皆中学校から陸上部に入るので、中学生が速くなるのはある意味では当たり前です。ただ、私が見ているのは中学校三年間も陸上競技部で練習してたのに速くならなかった子たちを指導して、それがぐんぐん速くなっているのです。やり方次第でなんとでもなります。


 でも、やっぱり出発点は信念を植え付けることなんです。「この人の言うことを聞いたら速くなれる」と信じさせるか信じさせないかです。ただ、精神的なものなので最終的には本人の問題でもある訳です。こちらから働きかけるその働きかけ方は同じです。ですが、同じように働きかけても響く子と響かない子がいます。それは元々本人が持っている心の状態が人によってやや異なるからです。


 精神的なものに関しては、こちらからの働きかけと相手が自分で変わろうとする気持ちの両方が大切です。


 そして、大人の場合はその大部分を自分で書き換えるしかありません。


 先ず第一に、大人になったら基本的に全て自己責任です。普通は周囲の人間がいちいち言ってくれません。これは冷酷な人生の事実です。私自身も相手が高校生なら言うけど、相手が大人ならそれ以上は言わないということもたくさんありますし、それは高校生にも伝えます。


「今のうちに直しておかないと大人になったら誰も言ってくれないよ」と。


 親子であっても大人になったら、もう見込みがないと思ったらそれ以上は言わないのが普通ではないでしょうか。結局最終的には自分の人生は自分だけのものであり、相手の人生も相手のものなので、なかなか大人になってから色々言いにくいことを言ってくれる人はいないものです。


 第二に、大人同士は礼儀正しくあることが求められます。伝えるにしてもいい方というものがある訳ですが、はっきり言ってそんな生ぬるい言い方をしていては伝わらないことがあるのも事実です。結局色々考えた結果、相手に失礼のないように何も言わないという選択肢をとることが普通ではないでしょうか。私も不特定多数の人に向けて情報発信する場合には、耳に痛いけれど真実であるという内容も頻繁にいれていきますが、一対一になるとさすがに気を使います。


 第三に、大人は子供ほど素直ではありません。中高生の頃は一回聞いたら感動してスッと心に入ってくるような内容でも、大人になったらなかなか心に入ってこなくなったりします。これは良くも悪くも論理的な思考が発達するからです。論理的な思考の審査を通過しないとなかなか自分の中に入ってこないのが大人になってからです。


 ただ、ここで厄介なのは論理的な思考が常に論理的に正しい答えを導き出さないことと、そもそも自分を抜本的に変革するには時には理性の外側、信念の部分にアプローチしないといけないことです。


 それから最後に長距離走、マラソンは精神的な要素が大きい種目である理由を述べさせて頂きますと、長距離走、マラソンは忍耐が求められるからです。ここでいう忍耐とは文字通り耐え忍ぶということです。これは苦しいことに耐えるということではなく、すぐに結果が出なくてもやり続ける、結果を待ち続けるということです。


 時には忠犬ハチ公や岸壁の母のように待ち続けなければなりません。


 長距離走、マラソンはすぐには結果が出ない代わりに、長期で見れば大きく体が変わっていく種目です。走力が低ければ低いほど、少し練習すれば成果が得られます。


 その一方で、レベルが上がれば上がるほど、ある一つのトレーニング刺激に対して適応するのに時間がかかるようになりますし、それが質的なものであれ、量的なものであれ、全体的なものであれ、部分的なものであれ、なるべく少しずつ練習のレベルを上げた方が確実にそのトレーニング刺激に対して適応するようになります。


 ところが、私もそうですが、なかなかそれが待てないものなのです。待てないタイプの人間には二つのタイプがあります。一つ目のタイプは私のようにせっかちなタイプで、短期間でトレーニングの負荷を上げ過ぎてしまうのです。この一群の人は往々にして結果がマイナスになります。


 二つ目のタイプは、ちょっとやってなかなか結果が出ないと「ここが自分の限界」と諦めてしまうタイプです。先述の通り、レベルが低ければ低いほど少し練習をすれば走力は向上します。


 そして、誰もが(私も含めて)初めはレベルが低いので、ちょっと練習をしたら速くなるというのが往々にして当たり前になってしまうのです。


 ところが、レベルが上がれば上がるほど練習してもなかなか速くならなくなります。そうすると、勝手に「俺の限界はここまで」と線引きしてしまうのです。


 大牟田高校を何度も全国高校駅伝の入賞に導き、インターハイでも優勝者や入賞者を輩出している赤池健先生が一度こんなことをおっしゃっていました。


「弱いやつほどすぐ線を引く。俺はここまでぴゅー。俺はけんさか(懸垂逆上がりのこと)できんけん、ぴゅー。俺はあいつには勝てんけん、ぴゅー。弱い奴ほどすぐに自分で自分に線を引くけん、強くなれんたい」


 弱い人ほどそうかどうかは分かりませんが、一つ確実に言えることは自分で「自分はここまで」と思えばその先にいけるものもいけないということです。


 由良育英高校(現鳥取中央育英高校)を率いてインターハイ総合優勝三回、全国高校駅伝でも最高準優勝をはじめとして複数回入賞に導いておられる横山隆義先生も同じようなことをおっしゃっていました。


「1000m2分30秒、1000m2分30秒じゃないと日本一なれんで。いくだー。いけれんっちゃ思ったらいけれん。行くっっちゃなんだら思ったらいける。どがんしてもいっちゃるちゃあなあ」


 じゃあ「いける」と思ったら、誰でも1000m2分半で走れるのかというとそういうことでもないのですが、確実に言えることは「出来ない」と思えば、出来るものも出来なくなるということです。


 そんな訳で、長期にわたって自分なら必ず出来るという信念を持ち続けられるかどうかがどこまで記録を伸ばせるかの大きなカギを握るのです。


 色々と書いてきましたが、まとめてみるとそもそも人間が行動するのは得をするという見込みがあるからであり、しかしながら行動する前に得をするかしないかを知ることは不可能であり、更に言えば、上手くいく方法論を学ぶ場合においても「必ず上手くいく方法がある」と信ずることから始まるので、明らかに行動する前の信念が行動するかどうかを決めるということです。


 そして、人生においては通常は決断は一回ではありません。人生は自分が意識するとしないとに関わらず決断の連続です。今日はどんな服を着るのか、今日は何を食べるのか、今日は練習するのかしないのか、するのであればどんな練習をするのか、今日は仕事を頑張るのか頑張らないのか、決断の連続です。


 そして、その決断の連続において全て自分の信念が無意識のうちに関わってきます。早い話が自分の成功、自分が得をするということを信じられない人は小さな決断においても常に集中しない方、頑張らない方、頭を使わない方を選ぶということです。換言すれば常に易きに流れる人生になってしまうということです。あなたの周りにもそういう人いないでしょうか?


 常に易きに流されている人が。


 こういう人ほど生命力を感じさせず、早く老いていくものです。


 ここまでは行動するかしないか、頑張れるか頑張れないか、集中出来るか出来ないかという話をしてきましたが、実はそれだけではありません。工夫をするのかしないのか、頭を使うのか使わないのか、勉強するのかしないのか、せんじ詰めれば心を可能性に対して開くのか開かないのかということが関わってきます。


 私が言いたいのは根性さえあれば、強い気持ちさえあればそれだけで出来るようになるということではありません。私が言いたいのは世の中には上手くいくやり方とそうではないやり方がありますが、自分には無理だと思っている人はそもそも上手くいくやり方を勉強しないし、知ろうともしないし、仮に誰かが助言してくれても頭に入らないし、その結果としてちゃんとその人の思い通りに上手くいかなくなるのです。


 一方で、上手くいくという信念を持っている人は上手くいくという前提に立って物事を考えるので、上手くいく方向から考えます。


 要するに、「もし上手くいくとしたらどうやったら良いのか」ということを考えます。そうすると、上手くいきそうな可能性があるものに心を開くので、玉石混交ながらも色々役立ちそうな情報が入ってきます。入ってくると言っても自分から探しに行く訳ですが、大切なのはいざその情報が入って来た時に、自分の中に受け入れられる準備が出来ているかどうかです。


 あなたの周りにも何を言っても否定ばかりしてくる人はいないでしょうか?


 そういう人は大抵は論点を微妙にずらしてきます。例えば、以下のような会話です。


「すぐには結果が出ないかもしれないけれど、地道に練習量を増やして先ずは故障しにくく、疲れにくい体を作ったら必ず記録はついてきますよ」


「いや、でも人によって体は違うじゃないですか。私にはそのやり方は合わないんです」


「確かに、多少の個人差はあります。ですが、人間の遺伝子は全員ほぼ同じなので、基本は全員同じなんです。やっていくうちに、他の人と全く同じ練習ではいけないでしょうけれど、方向性としては今は練習量が少なく、質が高すぎるので少しずつ量を増やして疲れにくく故障しにくい体を作らないとこのままだと故障してばかりですよ」


「いやでも私生まれながらに外反母趾なんですよ。だから、私はすぐに足が痛くなるんです」


「外反母趾や内反母指、その他X脚やO脚などなど人によってアラインメントが異なったりするので、個別にアプローチする必要もありますが、基本は全員同じなんです」


「でも、病院の先生が外反母趾だから足が痛くなるって言ってたんです。それに私子育てもしなきゃいけないから、時間もなくて」


「なるほど、子育てもしながらだとなかなか時間も限られてきますよね。他の方もやっぱり、色々な状況の中で走られています。ちなみに、今は週に何日くらい練習されてるんですか?」


「いやでも、やっぱりこういうのってほら生まれつきのエネルギーの量とかあるじゃないですか。池上さんみたいに会社経営もしながら走れる人って生まれつき他の人よりもエネルギーがある人なんですよ」


 こんな感じで永遠に論点をずらして、ああだこうだと言い続ける人っていますよね。あれってたぶん自分でもうすうす気づいてるんですよ、自分が言っていることはおかしいって。


 でも、もう信念が「自分には無理」って思い込んだら如何なる論理を駆使してでも、永遠に自分が無理な理由を探し出すんです。この状態での指導ははっきり言って無理です。どれだけ優れたトレーニング理論や戦略を持っていても指導は無理です。何を言っても元の木阿弥、焼け石に水というやつで絶対に教えることは出来ません。その人の信念が書き換わらない限りはトレーニングどころの話ではありません。


 勉強でも仕事でもこの手の類の人はいるものです。そもそも、出来るか出来ないかを考える前にやれば良いのにと思うのですが、結局人間は得をしたい生き物であり、損をしたくない生き物なので、自分が得をすると思わない限りは行動しない生き物なのです。


 しかしながら、ここでケニアを中長距離走の一大強国に仕立て上げたアイルランドの宣教師ブラザーコルム・オコネル氏の言葉を紹介させて下さい。


「もしもあなたが何かを与えられるまで何もしないのであれば、人生で何かを成し遂げることはないだろう」


 人生とは常に投資なのです。誰かに与えられて先に得をしてから行動するというような安直な考え方では道は拓けません。常に自分を信じて投資をするのかしないのか、その決断でしか何かを成し遂げることは出来ないのです。


 そんな訳で、2025年以降、あなたに大きな夢を叶えて頂くために最後は私の夢実現法を解説させて頂いて今年の池上講義をしめくくらせて頂きたいと思います。ただ、その前にこの講義を受講する価値があるのかないのかを判断して頂くために、私が人生でもった夢とそれが叶ったのか叶わなかったのかを書かせて頂きたいと思います。私がこれまで抱いてきた夢は以下の通りです。


・兵隊さんになる(→日本に軍隊はないことを教えられ落ち込むも、自衛隊があることを知り、自衛隊に入隊したいと思うが、母のヒステリーを見てやめる)


・プロ棋士になる(小学校三年生で興味が野球に移ると共にやめる)


・プロ野球選手になる(挫折。高校からは陸上競技をすることに決める)


・プロランナーになる(叶った)


・マラソン2時間6分で走る(未だ叶わず)


・ネット起業して月収100万円を超える(叶った)


・年収1億円(未だ叶わず)


 都道府県対抗男子駅伝での区間賞や京都府高校駅伝三連覇と三年連続区間賞、関西インカレ二冠、谷川真理ハーフマラソンで川内優輝さんを破っての優勝など部分部分で達成出来た目標はあるけれど、こうやってみると叶った夢って意外と少ないなと思います。


 逆にサブ3やサブエガ、サブ2.5、起業して月収100万円越えなど他人の夢の実現のお手伝いをさせて頂いたことは過去4年間だけでざっと数百人はあります。


 そんな私で良ければ、夢を叶えるための効率が良い考え方をお伝えさせて頂きます。


 こちらの講義を受講して頂いてあなたが得られる恩恵は以下の二点です。


・あなたの能力や可能性が最大限に発揮される


・年齢の割には若々しく元気でいられるようになる


・幸せになる


 一つ目の恩恵の説明は不要かと思いますが、二つ目と三つ目についても少し説明をさせて下さい。これは人間の認知のメカニズムや潜在意識が体に及ぼす影響の所で詳しく説明させて頂きますが、人間は先ず第一に世界の認識の仕方や目標設定の仕方で体が変わるんです。つまり、老いる速度が変わるんです。老いを止めることは出来ませんが、老いる速度を遅くすることは出来ます。


 本講義で解説している内容を実践すれば、自然と老いる速度は遅くなります。老いる速度が遅くなると言うと、胡散臭いと思う人も仕事をやめると老いる速度が速くなるとか、配偶者に先立たれると老いる速度が速くなるということは割と納得してもらえるのではないでしょうか。その理由も講義内で説明させて頂きます。


 最後に3つ目ですが、人間は幸せになる方向性に向かっている時に一番生産性があがります。逆に、不幸になっていると思うと人間は色々とやらない理由を考えます。先ほど、何を言っても微妙に論点をずらしながらやらない理由をつらつらと述べる人の例を出したのを覚えているでしょうか?


 あの一群の人はやっていることと潜在意識がズレてしまっているのです。その人がどう思っていようと、その人の潜在意識(神経回路)はそれが嫌なんです。それが嫌だから何とかして避けようとして、あれやこれやとやらない理由を述べるんです。これを創造的回避と言います。


 生産性を上げるにはどうすれば良いのかと言うと、自分がやっていて幸せな夢や目標を設定しなければなりません。つまり、本講義で解説している内容を実践すれば、どんどん幸せになる上に生産性が向上するのです。どこかでこういう人みたことないですか?


 はたから見たら物凄く禁欲的で努力家で人生何が楽しいんだろうと思えるけれど、当人たちは物凄く幸せであるという人たち。


 そうです。ウェルビーイング株式会社の面々です。私も深澤もはたから見たら仕事中毒者で、生きてて何が楽しいのかと思われても不思議ではないですが、寧ろ毎日幸せです。


 Syokoさんはウェルビーイングでは週に5日しかお仕事されていませんが、それ以外の2日は個人としてお仕事されているので、やっぱり週休0日です。それでも、ウェルビーイングに来てから前職よりも幸せだと言って下さっています。


 自分の能力が向上するだけでも普通は嬉しいのに、能力が向上する上に幸せになるってそんなことがあって良いのかと思われるかもしれませんが、それで良いというかそもそもそうじゃないと能力も上がらないし、幸せになることもないし、生産性の向上と幸せは二つで一つだと思って頂いた方が良いと思います。


 私が尊敬するキックボクシングの世界で4度の世界チャンピオンに輝いたアンドリュー・テイトという方がいらっしゃるのですが、この方がある時こんなことを語っていました。


「一度弟とお酒を飲んでいる時にこう宣言したんだ。今後2か月は一切楽しみを捨ててみると。お酒も飲まない、パーティもやらない。一切の楽しみを捨てると。弟はやめとけと言ったけど、俺はやることにしたんだ。その結果どうなったと思う?一切の楽しみを捨てたら人生がもっと楽しくなったんだ」


 言葉そのまま理解しようとすると矛盾していますが、言わんとしていることは物凄く分かります。要するに、そういうことなんです。一般的には苦しみを耐えた先に喜びがあると思われがちですが、そうでもないということです。


 昔の歌にも「人生は心ひとつの置き所」という言葉がありますが、考え方一つで苦しいことも楽しいことになるし、楽しいことを捨てるともっと楽しくなるということです。


 さて、これだけの内容が詰まった講義ですが、今回は出来るだけ多くの方に受講して頂きたいという想いと過去にも同じ講義を出しており、すでに受講して頂いた方もいらっしゃるけれど、必ず私の新しい講義は受講したいという嬉しいことを言って下さる方がいて下さるという二つの理由からたった5000円の投資で受講して頂けるように致します。この機会に1人でも多くの方に人生を変えて頂きたいと思っています。


 人生を変えたいという方は、今すぐ下記のリンクをクリックして、お申し込みください。



ウェルビーイング株式会社代表取締役

池上秀志


閲覧数:661回0件のコメント

関連記事

すべて表示

慢性的な痛みや違和感に悩んだことはありませんか?

「なんだか脚が痛むなあ・・」 「足が痛いのがもう何週間も続いていて、そのことばかり考えてしまう・・」 「走れなくはないけれど、走ってもいいものかな・・」 「でもお医者さんには安静って言われたし・・」    突然ですが、あなたにはこんな経験ないですか?↑  ...

Comentarios


ランニング書籍

講師紹介
​ウェルビーイング株式会社代表取締役
池上秀志

経歴

中学 京都府亀岡市立亀岡中学校

都道府県対抗男子駅伝6区区間賞 自己ベスト3km 8分51秒

 

高校 洛南高校

京都府駅伝3年連続区間賞 チームも優勝

全国高校駅伝3年連続出場 19位 11位 18位

 

大学 京都教育大学

京都インカレ10000m優勝

関西インカレ10000m優勝 ハーフマラソン優勝

西日本インカレ 5000m 2位 10000m 2位

京都選手権 10000m優勝

近畿選手権 10000m優勝

谷川真理ハーフマラソン優勝

グアムハーフマラソン優勝

上尾ハーフマラソン一般の部優勝

 

大学卒業後

実業団4社からの誘いを断り、ドイツ人コーチDieter Hogenの下でトレーニングを続ける。所属は1990年にCoach Hogen、イギリス人マネージャーのキム・マクドナルドらで立ち上げたKimbia Athletics。

 

大阪ロードレース優勝

ハイテクハーフマラソン二連覇

ももクロマニアハーフマラソン2位

グアムマラソン優勝

大阪マラソン2位

 

自己ベスト

ハーフマラソン 63分09秒

30km 1時間31分53秒

マラソン 2時間13分41秒

​ウェルビーイング株式会社副社長
らんラボ!代表
深澤 哲也

IMG_5423.JPG

経歴

中学 京都市立音羽中学校

高校 洛南高校

↓(競技引退)

大学 立命館大学(陸上はせず)

​↓

大学卒業後

一般企業に勤め、社内のランニング同好会に所属して年に数回リレーマラソンや駅伝を走るも、継続的なトレーニングはほとんどせず。

2020年、ウェルビーイング株式会社の設立をきっかけに約8年ぶりに市民ランナーとして走り始る。

感覚だけで走っていた競技者時代から一変、市民ランナーになってから学んだウェルビーイングのコンテンツでは、理論を先に理解してから体で実践する、というやり方を知る。始めは理解できるか不安を持ちつつも、驚くほど効率的に走力が伸びていくことを実感し、ランニングにおける理論の重要性を痛感。

現在は市民ランナーのランニングにおける目標達成、お悩み解決のための情報発信や、ジュニアコーチングで中学生ランナーも指導し、教え子は2年生で滋賀県の中学チャンピオンとなり、3年生では800mで全国大会にも出場。

 

実績

京都府高校駅伝区間賞

全日本琵琶湖クロカン8位入賞

高槻シティハーフマラソン

5kmの部優勝 など

~自己ベスト~

3,000m 8:42(2012)
5,000m 14:57(2012)
10,000m 32:24(2023)
ハーフマラソン 1:08:21(2024)

​マラソン 2:32:18(2024)

bottom of page