「ぼくのマラソンは、いくら口で言ってもわからないと思う。あの長野の故郷にたたないと伝わらないんですよ」:『挑戦』 中山竹通著
このように語るのはソウルオリンピック、バルセロナオリンピックで二大会連続の4位入賞、当時は世界最強を決めると言われた福岡国際マラソンでも優勝した中山竹通さんの言葉です。
私は中山さんの言葉を久しぶりに思い出していました。それはウェルビーイングオンラインスクールの受講生様から以下のようなメールを頂いた時のことです。
「大半の市民ランナーの方々は池上さんほどは記録に対する執着というものを持ちません。記録へのあこがれや情熱を持ち続けるための原体験とも言える経験や体験をもたないのです」
一言一句この通りではありませんが、そのようなメールを頂きました。私が起業当初それは当たり前のことでした。プロランナーと市民ランナーの間に存在する絶対的な壁というものを私自身が想定していました。
ところが、ふたを開けてみると、私の予想をはるかに上回る熱心で一生懸命な市民ランナーさん達に次々と出会い、私は今までの自らの狭量を恥じました。
以来「分かってくれる人は分かってくれる」と思いながら情報発信を続けてきました。それは間違っていなかったと今でも思っています。
ところが、それがそろそろ一周回ってスタート地点に戻ってきた感があるのです。
初めは知識に飢えている方がむさぼるように長距離走・マラソントレーニングの基本原則を学び、それを自らの練習に応用することで次々と記録を伸ばされてきました。今もそれは続いています。
現在はある程度はそれが軌道に乗っており、もう一段上を狙う段階になってきたのですが、その一段上に到達するためにどうしても避けては通れないのが心の部分なのです。心というものを伝えたり、説明したりすることは非常に難しいです。
何故ならば、原体験を共有していないからです。
例えばですが、私が最近気づいたことは如何に好記録を出しても今の若い選手たちはなかなか私にとっての英雄になりえないことです。私がマラソンを志し始めた高校生の頃は2時間10分を切る選手はほんの一部であり、まぎれもなく彼らは私にとっての英雄でした。
同時に、高校時代に5000m13分台を記録していた人たちは、私達の時代は超高校級という評価を得て、私の中でもとんでもない雲の上の存在でした。
今の若い選手はそのくらいの記録で走る選手がたくさんいます。中にはかつて私を励まし続けた英雄たちよりも速い選手もいます。
ですが、私にとってはかつての英雄たちは今でも私の心の中では英雄たり続けているのです。そして、彼らの存在が今でも私の行く手を照らし続けてくれているのです。
一方で、今の若い選手たちが続々と好記録を出していくのを見て、励まされはしますが、憧れというところまでには達しません。自分もあんな風になりたいとはなかなかならないのです。
先人たちにあこがれを持つというのは、哺乳類の本能なのかもしれません。
このように、必ずしも速い人を見たからといってその人にあこがれを持つ訳ではなく、また憧れの対象は必ずしも人であるとは限らず、人はそれぞれに異なる原体験を持っている訳です。
それはそれで構いません。原体験があり、私のように10年以上も自分を励まし続けてくれる英雄を心に持ち続けているのであれば、それで良いのです。
ところが思うに、大人になってからこういった原体験を持つことは難しいのではないかとふと思い至ったのです。
子供の頃にみたプロ野球選手やプロサッカー選手にはすぐに憧れを持つのに大人になると、なかなか憧れの対象を持つことが出来ません。少なくとも、なかなか少年や少女のようには目が輝かないのです。
結局はその違いが思いの強さに表れて、その思いの強さが全てに波及するのではないかと思いました。
原体験は言うまでもなく後天的な体験です。確かに、幼年期や少年期においての経験が強くものをいうことを考えると先天的に近い要素もあります。ですが、所詮は後天的なものなので、ある程度は伝わるはずなのです。つまり、他人の原体験から自分も力をもらうということは本来可能であるはずなのです。
もう一つは、論理的思考の発達という面においても、人生経験というものが少なからず影響を受けることにも気づきました。人生経験というよりは人生における考え方全般と言っても良いかもしれません。
論理的な思考というと論理的な思考が独立しているかのように思われがちですが、論理的な思考が働く人は「さあ、今から論理的な思考を使おう」などと思ってはいません。普段からほとんど無意識のうちに使っているものです。
一方で、論理的な思考を使っていない人は普段から使っていません。普段から使っていないのに、長距離走・マラソンを学ぶ時だけ論理的な思考を使うなんて到底無理な話なのです。
では、この論理的な思考の発達にはどのような要因が影響しているのでしょうか?
改めて考えてみると、その論理的な思考の発達過程というのは極めてあいまいです。
本来は学校教育が担うべきなのでしょうけれども、今の学校教育は論理的な思考の発達よりも記憶力に重きを置きます。大学入試はマーク試験で4択の中から答えを選びます。必然的に、論理的な思考よりも広く浅く暗記することが求められます。
戸塚ヨットスクールの元校長の戸塚先生がこんなことをおっしゃっていました。
「文科系の人間が世の中のトップにいる間は日本はダメだ。理科系の人間は結果を出さないと誰も認めてくれない。そこに論理的な思考の発達がある。一方で、文科系の人間は机上の空論、知識にもなってない知識を覚えて賢くなったと思ってるだけ。ところが、社会では文科系の偉い奴が上に行く。これでは日本はダメになる」と。
私は戸塚先生のおっしゃっていることはよく分かります。よく分かりますが、同時に本来それはおかしいとも思うのです。
理系は自然を対象とし道具として数式や化学式を用いる、文系は人を対象として道具として言語を使う、本来は学問する対象と使う道具が異なるだけでどちらも論理的な思考を必要とするはずなのです。
ところが、これがあまり育たないような教育課程になっています(特に文系)。
その結果として、長距離走・マラソントレーニングにおける原理原則を学んでも、知識として学んだだけで、それを応用する仕方が分からない、つまり実際に結果を出す方法が分からないという方が多いように感じたのです。ここに課題を感じたのです。
日本語には知行合一という言葉があります。これは知っていることと行動が一致するという意味です。本来、知識と行動は一致するものなのです。
ですから私は何も、人の知らないことをさも賢そうな顔をして講釈垂れてお金をもらおうというのではなく、本当に結果が一番出る方法を大真面目に教えているのです。それが知行合一のレベルまで到達すれば、結果は必ず出るのです。
ところが、知識と実践、理論と実践の結びつきを習得するのになかなか時間がかかるようです。これはまあ当たり前といえば、当たり前です。頭でわかるのと体で分かるのは別ですから、それで良いんです。
問題は、頭でわかるのと体で分かることの違いが分かっていない人が多いように感じられるということです。
今のネット空間を見ていると、手っ取り早く上っ面の知識だけを教えてほしい人、あるいは言葉だけ変えたりして上っ面の最新の知識を提供する人で溢れかえっております。
つま先接地も真下接地もヤッソ800もLT走もオレゴン式も北欧式も、全て一時的な流行や根拠のない具体的な方法論と言い切って良いでしょう。
それはヤッソ800やLT走やオレゴン式や北欧式のやり方が間違っているからではありません。
そうではなく、その練習の使い方とかその練習とそれ以外の練習との組み合わせとかを考えないところ、あるいはオレゴン式とか北欧式とか言うけれど、色々な練習の組み合わせであるにも関わらず、一つのやり方に焦点を当ててこれが○○式とかいうところにおかしさがあるのです。
そして、こういうものばかりを追いかける人たちを見ていると、ワクチンの副作用を副反応と言い換えて誤魔化されたり(何故コロナワクチンだけ用語を変える?)、AV女優という表現はダメなのにセクシー女優という表現なら大丈夫ということになっていたり(違いが分からん)、自動車反対という声は全く聴かないのに原発反対だけは声高に叫ぶ人がいたり(死者数は圧倒的に交通事故の方が多い)、体罰は否定するのに「日本が悪いことをしたからアメリカに原爆を落とされたのは仕方がない」と考えたり(悪いことをしたから暴力をふるうというのであれば、平手打ちの方がよっぽど優しい)、全部うわべだけの情報や意見を求めたり振りかざしている日本の社会全般と非常に重なるものがあるのです。
こういった現状を鑑みるに、それなら一度私の人生経験全般を語ってみるのもありかなと思ったのです。
つまり、私がどのようにして、今の思考の形態を身につけるに至ったのかということです。私は英才教育を受けた訳ではありません。塾に通ったことも無ければ、公文に通ったこともなければ、家庭教師をつけてもらったこともありません。
ただ、自分の身を自分で守るために、自分の権利を自分で守るために、自分がこれ以上挫折を味あわない為に、自分がこれ以上無駄に苦しい思いをしないために、自分がこれ以上みじめで情けない気持ちを味あわなくて良いように、自分がこれ以上死にたいと思わなくて良いように、自然と論理的な思考が身についていったのです。
逆の言い方をすれば、他人の言うことを鵜呑みにしていたのでは自分の身は守れないし、騙されてしまうということです。これはもちろん、長距離走・マラソンにおいても同様です。
多くの方が大手マスメディアや大手企業、オリンピック選手や大学教授などの言うことは絶対に正しいと思っています。いつも彼らは正しく、私のような在野の浮草のような人間の言うことには耳を傾けたりはしません。
でも、そう信じていると最後に痛い目を見るのは自分自身なのです。その結果として、情報を多角的に分析したり、とりあえず一旦受け入れて自分の体を使って実験してみたり、新たな情報収集を続けるという習慣が自然と身に着いたのです。
今も昔も情報が人生を大きく変えます。泣くも笑うも決断一つと言いますが、決断するにしたって良い決断をするための質の良い情報が大切です。
ただ、今と昔が大きく違うのは、今の時代に求められるのは情報収集よりも情報分析や情報の加工の部分なのです。これが無いと、アマチュアランナーの方が長距離走・マラソンで大きく結果を出すのは難しいです。
以前もどこかで申し上げたかもしれませんが、大人になったらある程度中学生、高校生とは異なるアプローチが必要です。中学生、高校生はまだ素直なので、優秀な指導者が強制力を働かせて強化してしまった方が早いです。要は素直で反抗的じゃなくて、努力する子が伸びるのです。
その代わり、強くなるもならないもほとんど指導者で決まります。自分で考える力も考えるための材料もないからです。強豪校と弱小校の違いは優秀な指導者がいるか否かの違いです。
大学生はその延長です。高校生までにそういった習慣や経験を身につけて結果を出してきた人たちが強豪大学に集まり、その人たちで集まって合宿を4年間するので、環境が整っているのです。最低限、集団行動が出来て、意志が強くて、能力も高くて、ある程度は体で結果の出し方が分かっている人が集まります。
そして、ある程度優秀な人間が集まるという環境に加えて、今は箱根組はかなり環境も整っています。トラックに寮にジムにバスにトレーナーに治療器具にと至れる尽くせりの環境が整っています(もちろん、大学によって差はある)。
その上で、大きく伸びたければ、自分の頭で考える要素がもう少し必要になります。
実業団はさらにその延長で少し自分の頭で考える要素が増えますが、そもそも力のある人しか入れない上に、合宿生活をする訳です。そして、結果が出ないとだいたい3年で退部勧告が為されて、陸上部から営業部とか総務部とか人事部に転属されます。そして、また力のある選手が入社します。
原監督が実業団の指導者は本気で育成に取り組んでいないと発言されたようですが(これも本当に本人がいったのかどうかは分かりませんが)、ある意味ではそれは事実で、今の実業団は選手を育成するというよりは大学までに活躍している選手を取ってきて使える間は存分に使い、使えなくなったら部品を交換するように交換するだけです。
それでも、大学までに結果を残した選手をたくさんとれば、一定の確率で活躍する選手が必ず現れます。
そんな訳で、大学以降は少しずつ自分の頭で考えながら、自分なりのやり方を身につけていくものの、知らない間に身についていた基本の上に、自分なりのやり方を発展していくので、引退するころになってもアマチュアランナーの方々に体系立てて長距離走・マラソンを教えたり、トレーニング分析するところまではいけません。
つまり、いわゆる競技者、トップランナーというのは体で覚えるのが先で、理屈は後からついてくるものなのです。
一方で、大人になってから走り始める市民ランナーの皆さまは理屈が先で、実践するに従って理屈が体で理解出来るようになるという過程を経た方が成長が早いようになっています。これが人間の成長の仕方に合致するのです。
大人になってから走り始める市民ランナーの方々といわゆる競技者の一番の違いは中学、高校の半強制的に基本を叩きこむ過程がないことです。
我々も実はこの時期には理論らしい理論はほとんど何も学びません。本当にほとんど何も学びません。しかしながら、まだまだ素直ですし、たくさん叱って頂いたり、体罰も使って頂いたり、強制力も働かせながら基本を体に叩き込んでいくのです。
大人を相手に同じ教え方は無理です(お望みならば特別コースも作りますが)。
ですから、大人の方の場合は成功確率を上げたければ、勉強が一番なのです。ただ、ここでの勉強とは受験勉強ではなく、知行合一までもっていくことなのです。
先述の通り、知行合一や自分で情報を分析するとか、分析結果から導き出される未来予想や理想の未来を作り上げるための計画を立てるとかいうところまでを学生の時分にやっている方は少数派なのです。
お仕事でそういうことが自然と身についている方も多数いらっしゃり、それはそれで良いのです。
でも、そうじゃない方が多いのも事実です。
そこで、今回は改めて私が今までどのような過程を歩んできたのか、それをお話しさせて頂くことでも参考になる部分が多いのではないかと思った次第です。
また、最近は有難いことに私そのものに興味を持っていただく機会も増え
・その情報はいつもどこから仕入れてきているのか?
・その長距離走・マラソンに関するインテリジェンス能力はどこで身につけたのか
・何故国立大学の帰宅部でありながら、厚底シューズもない時代にハーフマラソン63分09秒で走れたのか
・何故実業団ではなくプロランナーを選んだのか
・何故突如として起業し、いきなり経営者になって上手くいっているのは何故なのか、経営の知識などはいつ勉強したのか
・何故そんなにも政治、経済、歴史の話など社会科学的な話がたくさん出て来るのか
・子供の教育はどうすれば良いのか
などなどのご質問を多数いただくことになりましたので、この機会にまとめてお答えさせて頂きたいと思います。
また、実はある方から「自伝を書いて欲しい」とも言って頂いたのですが、今回は講義動画という形で自伝としての役割も果たさせて頂きたいと思います。
具体的な講義動画は以下の通りです。
第一章 生い立ちと小学生時代
・本に囲まれた幼少期と今から思えば今の私に大いに役立った母親の子育て法
・子供心に抱いた将来の夢
・陸上競技との出会いと今でもトラック&フィールドよりもロードレースが好きな理由
・霧と駅伝との関係性
・実は不良だった小学校高学年とその理由
第二章 中学時代
・私の人格を作ってくれた少年野球と挫折の理由
・初めて学んだトレーニング戦略の重要性
・良き指導者との出会いと上手くいかないチームメイトたちから学んだこと
・人の上に立つことになったら絶対に自分はやらないと決めたことと強いチーム作りに求められる指導者像
・進路を野球から陸上競技へと転換した理由
第三章 高校時代
・理に適ったトレーニング理論やトレーニング戦略を渇望するようになったきっかけ
・高校時代の恩師に感謝していることともっと教えてもらいたかったこと
・人間教育と陸上競技を教えることとの関係性について学んだこと
・進路を京都教育大学へと定めた理由
・実績のある人から直接話を聞く重要性を認識した日々
第四章 大学時代
・理に適ったトレーニング理論やトレーニング戦略に渇望するようになったきっかけパート2
・人間関係で悩んだ時の突破の仕方。私が今でも陸上競技部を離れて帰宅部になって良かったと思う理由
・マラソン日本記録保持者からかかってきた一本の電話
・ケニアへの留学。ケニアで学びたいと思った理由となんのつてもなく、勝手に行ったケニアで学んだこと
・アラタプロジェクトのセレクションを受けて合格。当時存在した世界最強を目指すクラブチームの実態とは?
・我が師ディーター・ホーゲンとの出会い。何故彼を選んだのか、そもそもプロランナーとは何か
・度重なる故障と足底筋膜炎。コーチホーゲンに付き従った苦悩の日々。私が上手くいかなかった理由
・死にたいと思う日々から学んだこと
第五章 プロランナー
・故障の連続で走れず、生活も立ちいかなくなる中でアルバイトをする日々。そこで学んだ社長としての心構え
・長い故障からの復帰の兆しと大阪マラソン日本人トップ
・再びの挫折から学んだトレーニングのコツ
・再び大きなチャンスを逃し、その後体がボロボロに。体がフラフラになって1㎞5分ペースですら走れなかったり、頭がフラフラして目の前が真っ暗になる日々。まともに走ることすら出来ない
・経済的にも未納料金が積み重なり、どうにもこうにも立ちいかなくなる
第六章 起業
・起業を決意した理由
・起業当初
・市民ランナーの方々の指導開始
・仕事と自分自身の競技の両立を模索する日々
・事業が上手くいかず、一人川を見つめる中で固まった決心
第七章 目覚めて後
・私の身の上に起きた衝撃的な事実と将来的な不安の芽生え
・教え方の変化と将来的な展望。長距離走・マラソントレーニングの理論だけ教えていたらダメだなと思い至った理由
・走ることの原点と将来的な事業の展望と創業の理念が完全に一致し、三位一体となった瞬間
このように時系列で私自身の人生を振り返りながら、1私にとっての走ることの原体験、2論理的な思考をするようになった過程、3長距離走・マラソントレーニングの理論だけを教えることの限界に気づいたきっかけを軸にお話をさせて頂きます。
それに加えて、様々な方から頂くご質問に間接的にお答えさせて頂くような講義動画とさせて頂きます。
また、それとは別に私の人生を無視して、独立した形で皆様からのご質問に直接的にお答えさせて頂く場を設けさせて頂きたいと思います。
最後に、一つご質問させて頂きたいのですが、あなたは池上秀志の人生にいくらの価値をつけますか?
だいたいこういう時は数百万円とか一度価値を釣りあげておいてから下げていくのがセールステクニックというものですが、今回は謙虚に本音をお話しさせて下さい。
先日私も危機管理コンサルタントの丸谷元人先生という方の同じような講義動画を8万円で購入させて頂きました。本音として、丸谷先生の人生ほどの価値はないかなと自分でも思っております。
とは言え、丸谷先生と同じで世界中を飛び回って、一流選手や一流指導者の方々から直接お話をお伺いし、ケニア人とぼっとんトイレ、電化製品無し(冷蔵庫無し、空調機無し、洗濯は手洗い)、庭に鶏が歩いているようなところで一緒に生活したり、その中で色々なトラブルに巻き込まれたりしながら辛抱強く長距離走・マラソンに取り組んできた経験がありますので、5万円というのが素直な価格です。
とにかく最前線に飛び込んでみないと得られない情報の価値と申しましょう。
ただ、その一方で以下の事情を考慮に入れる必要があると思っております。
・すでに私の講義動画を何度も購入して下さっている方が多いこと
・だいたい私の人生に興味をお持ち下さる方はすでに何十万円もお支払い頂いていること
・お小遣い制の家が多く、奥様に交渉しないといけない家も多々あるが、今回の講義は奥様の許可がおそらくおりにくいこと
・だいたいお小遣いの額は月数万円の家庭が多いこと
これらの事情を考慮に入れて、税込み22000円が妥当な線かなと思います。
更に、期間限定で特別価格でお届けさせて頂きます。こちらの講義動画は現在仕上げの段階に入っており、近日公開致しますので今しばらくお待ちください。
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