「エリートランナーになる為のトレーニング全集」を出版させて頂いた後、『リカバリー全集』も出版してほしいとのお声を有難くもある方から頂きました。トレーニングとリカバリーは表裏一体であると何度も何度も口を酸っぱくして述べているのですが、残念ながらなかなか真剣に受け取ってもらえないことも多くある中で、リカバリーに対する意識が高まるのは非常に良いことだと思います。
しかしながら、ただ単にリカバリーが大切と言うだけであれば、なんだか口うるさいお母さんのようでその根拠が薄弱であるようにも感じられます。一体、リカバリーを重視する理由は何でしょうか?
リカバリーはどうして重要なのでしょうか?
大きく分けると理由は二つあります。
一つ目は、固有の限界値を引き上げるためです。人間には誰しもその個人によって適応できる練習の負荷の総量というものが決まっています。この固有の限界は様々な要素で決まります。最終的には、おそらく遺伝子によって決まっています。しかしながら、自分の遺伝子で決められた限界値まで到達する人はほんの一部です。
実業団を含むプロランナーにでもならない限りは無理でしょうし、多くの場合、実業団選手を含むプロランナーにも改善の余地はあります。この固有の限界とは平易な言葉に言い換えれば、その人がどれだけハードな練習をしても大丈夫なのかということです。
ここでいうハードというのは、主観的強度のことではなく、客観的強度つまり質×量で表される類のものです。誰かにとってハードな練習も他の誰かにとってはハードではないということはままあります。また、同じ人間にとっても高校生の時の私にとってハードな練習は今の私にとってはそれほどハードではありません。このように、同じ練習をしても主観的強度に差があります。
一方の客観的強度と言うのは、その練習がそもそも物理的にどのくらいの強度を持っているのかという話です。単純な話で、2000m5本を1キロ3分ペース、休息2分という練習があった時に、2000m7本を1キロ3分ペース、休息2分にしても客観的強度は上がりますし、2000m5本を5分50秒で休息2分にしても客観的強度は上がりますし、2000m5本を6分ちょうどで休息1分にしても客観的強度は上がります。この時、実際にその選手がどのくらいの強度を感じているのか(どのくらいキツイと感じているのか)は問題になりません。
練習の一つのゴールは自分が抱えこめる客観的強度を上げていくことです。つまり、詳しくは後述するオーバーリーチングやオーバートレーニングにならないように客観的強度を上げていくことが練習の1つのゴールです。効率の良い練習というものはありますが、客観的強度が低い練習で大きな成果を挙げることなど出来ません。
もちろん、比較的少ない客観的強度で良い結果を残すというのは可能です。しかしながら、サブ3するにはサブ3、2時間6分で走るには2時間6分で走るのに必要な最低限の客観的強度と言うものは存在します。そして、その自分がオーバーユースやオーバートレーニングに陥らずに、適応することが出来る客観的強度を効率よく上げていくことが効率的努力ということが出来ます。
この時に、もちろんトレーニング面からも考えていくのですが、リカバリー面からも考えていくことで効率的努力を達成することが出来ます。何故ならば、同じ練習をしていてもオーバートレーニングやオーバーユースに陥らないかはリカバリーの質によって決まるからです。そして、今やっている練習に対して適応するか否かが将来的に適応できる客観的強度を決めることになるので、長期で見ればかなり大きな差になり得るのです。
この差が将来的に自分にどのように影響するのかは誰にも分かりません。もしかすると、3時間切りを目指してトレーニングしていてあと1分のところで涙をのんだのであれば、それはリカバリーの質で改善できたのかもしれません。あるいは5000m14分台を目指してトレーニングし、あと5秒の所で涙をのんだのであれば、それはリカバリーの質で改善できたのかもしれません。
そうならないように、適切な知識を一通り身につけておくことは非常に有利に働くことになるでしょう。
このまま書き続けると二つ目の理由がどこかにいってしまいそうなので、ここでリカバリーが大切な二つ目の理由を書かせて頂きます。
二つ目は、もうすでに何度か出てきていますが、オーバーユースとオーバートレーニングを避けるためです。オーバーユースは使い過ぎ症候群と訳されるもので、要するにその箇所を使いすぎて痛めることです。スポーツ全般において典型的なのは、ランナー膝、ゴルフ肘、テニス肘、野球肘、ジャンパーズニーなど固有の名称がついています。
しかし、こういった分かりやすい名称がついていなかったとしても、ありとあらゆるランニング障害は起こります。だいたい整形外科に行くとレントゲンを撮られて、骨が折れていなければ、「炎症起こしてますね。シップ出しておきますので、安静にしてください」で話は終わらされます。もうちょっと、サービス精神が旺盛な整形外科の先生ならば、痛み止めの薬や非ステロイド系の抗炎症剤を処方してくれたり、場合によってはステロイド注射をうってくれるかもしれません。
しかし、オーバーユースという名前とは裏腹に必ずしも使用量と故障の発生確率は一致しません。ただ単に、練習の負荷によってオーバーユースになるかならないかが決まるのであれば、非常に簡単にモニタリングできるはずです。ですが、実際には話はそう単純ではなく、大した練習をしていないのに故障することもあれば、かなり攻めた練習をしても乗り切れることもあります。
ただ、確率の問題で言えば、練習の負荷と指数関数的な関係にあるので、オーバーユースという名称は基本的には正しいです。ただ、それだけではないということです。あなたも想像してみて下さい。本当に良い練習が出来ていて、順調な仕上がり具合を見せていて、重要なレースの前についに念願のサブ3(サブエガ、サブ3.5、サブ4、サブ10などなど)を達成できると思っていたら、アキレス腱を痛めてしまって出場できなくなってしまったということになった時の悲しみを。
もしかすると、それもリカバリーの質が高ければ防げたのかもしれません。
次にオーバートレーニングという概念に移りましょう。オーバートレーニングという概念はもう少し複雑です。基本的な概念は「継続的にトレーニングをしており、病気や貧血、故障などの明らかな兆候がないにも関わらず走力が低下すること」です。ここで重要なのは、走力が低下することです。
決して、練習がきついからオーバートレーニングではないということです。人間の性格によって主観的強度と言うのはかなりの差があります。同じ負荷をかけてもある人間によっては、大したことがないと感じられ、ある人間にとってはかなり苦しいと感じられます。
しかしながら、運動生理学上の観点から言えば、どれだけ本人がきつい、苦しいと思っていても走力が向上しているのであれば、それはオーバートレーニングではありません。逆に、本人は大したことがないと思っていても、実際に長期にわたって走力が低下しているのであれば、それはオーバートレーニングです。
また、オーバートレーニングという概念を余計にややこしくしているのは、似たような概念に機能的オーバーリーチング、非機能的オーバーリーチング、オーバートレーニングという3つの概念があるからです。考えてみて下さい。あなたもインターバルトレーニングをした直後は走力が低下しないでしょうか?
例えば、今これを執筆している私はちょうど、400m15本を200mつなぎで66秒から63秒、つなぎは約65秒で実施したところです。これは5000mの自己ベストが14分20秒でしかない私にとっては、ハードなトレーニングです。午後にもう一度やれと言われればもちろん同じことは出来ないでしょう。朝に実施したインターバルトレーニングによって体はダメージを負って走力が低下しているからです。
明日もう一度同じことをやれと言われれば出来るかどうか?
これは微妙です。もしかしたら、出来るかもしれませんが、出来ないかもしれません。いずれにしても、多少のダメージはあるでしょう。
明らかな故障や貧血、病気などの兆候がないのに走力が低下している、ではこれはオーバートレーニングと言えるのでしょうか?
もちろん、そうではありませんよね。体に負荷をかけたら、一時的にダメージを負い、走力が低下するというのはトレーニングによる自然な反応です。これは長距離走のトレーニングだけではありません。筋トレの直後は一時的に筋力が低下しているはずです。短距離もそうです。どのくらい練習をするかにもよりますが、例えば300m5本を5分休息で全力で走れば、走力は低下するでしょう。
また、一日だけで考えずに、強化期間のようなものを設ける場合もそうです。時には一週間前後練習を普段よりも詰めることがあります。この時も強化期間の後半にいくにつれて、選手は体が動かなくなっていくのが普通です。では、これはオーバートレーニングでしょうか?
これも普通はそのようには考えません。あくまでも、必要な刺激を予定通り体にかけているだけです。では、一体オーバートレーニングとは何でしょうか?
オーバートレーニングとは長期にわたって、走力が低下し続け、場合によっては日常生活にも何らかの悪影響が出るようになります。病気と言うほどでもありませんが、倦怠感、睡眠の質の低下、食欲の低下、性欲の低下、うつ、無気力などの症状が出ることもあります。つまり、ウェルビーイングが損なわれるのです。
一方で、一時的に走力が低下したとしても数日から数週間で回復し、走力が向上するのであれば、これは適切なトレーニング刺激に対する適応反応ということが言えます。この時に重要なのは、練習の刺激だけではなく、リカバリーの質も重要なります。
つまり、練習したらした分だけリカバリーも重要になるのです。これは逆もまた真なりで、たくさん有効な練習をしたければリカバリーの質を上げるしかないのです。ここで重要なのは、ただ単に練習を増やすのではなく、有効な練習の量を増やすということです。やるだけやっても消化不良になれば走力は低下します。でも、そうではなく、有効な練習の負荷を上げていこうと思えば、それだけリカバリーが重要なのです。
そんな訳で、本書ではリカバリーを最適化する為に私が実践していること、あるいは実践してきたことをいくつかの研究結果も提示しながら見ていきたいと思います。リカバリーの二本柱は睡眠と栄養なのですが、栄養に関しては『長距離走、マラソンの為の栄養学』で解説させて頂いておりますので、同書を参照してください。
目次
前言1
- 疲労とは何か?11
超越論的統覚と疲労感15
疲労の二大要素18
- 睡眠20
睡眠の科学20
睡眠のメリット22
適切な睡眠時間はどのくらい?30
睡眠の質を高める方法32
睡眠の質を下げるもの、入眠を困難にするもの34
寝すぎは良くない?35
- 積極的休養38
- マッサージ41
様々なマッサージ43
セルフマッサージ43
フォームローラー、テニスボール、ソフトボール、ラクロスボールなど44
治療の為のマッサージ45
- 鍼治療47
- LLLT(低出力光線療法)50
再びLLLTとは何か?50
老化、慢性痛、生活習慣病は何故起こる?51
全てのカギを握る細胞51
肉体的ストレス・精神性ストレスを受けた時細胞内では何が起こる?53
具体的にはどの機械を使うべき?53
照射距離54
LEDかレーザーか55
- 酸素カプセル57
- 温浴60
温浴の注意点61
- アイシング63
アイシングをするとトレーニング効果が下がる64
アイシングの実践66
アイシングは体に悪い?67
- サウナ69
- 交代浴71
- 遠赤外線73
- 超音波74
- ヨガ、キネティックストレッチ75
- 電気治療器、低周波治療器77
- 瞑想79
- コンプレッションウェア85
- 青竹踏み87
- 気分転換89
最後に92